訃報に思う
2008年02月10日
一昨日の夜、
伯母から電話。
従姉妹の旦那さんが亡くなったと。
彼は63歳だった。
私が高校の頃、
米屋である彼がぎっくり腰になったり、
年末、餅をついたり配達したりで一年で最も忙しい時季、
臨時のアルバイトに泊まりで行った。
彼は温厚な性格で、
いつも目元に笑みがある人だった。
商売をいていればいいことばかりではないだろうに、
今思い浮かべると、笑みの絶えない人だった。
最後にその笑みを見たのは、
昨年6月末に、親父の法事をした時、
餅をついてもらった時だった。
骨を拾いながら、
生きるということことを考えた。
伯母から電話。
従姉妹の旦那さんが亡くなったと。
彼は63歳だった。
私が高校の頃、
米屋である彼がぎっくり腰になったり、
年末、餅をついたり配達したりで一年で最も忙しい時季、
臨時のアルバイトに泊まりで行った。
彼は温厚な性格で、
いつも目元に笑みがある人だった。
商売をいていればいいことばかりではないだろうに、
今思い浮かべると、笑みの絶えない人だった。
最後にその笑みを見たのは、
昨年6月末に、親父の法事をした時、
餅をついてもらった時だった。
骨を拾いながら、
生きるということことを考えた。
Posted by ばぶ at 22:30│Comments(2)
この記事へのコメント
’生きるということ’
究極の課題ですね。
何十年もかけて、徐々に答えをだしていますが、
おそらく、最後まで考え続けることでしょう。
究極の課題ですね。
何十年もかけて、徐々に答えをだしていますが、
おそらく、最後まで考え続けることでしょう。
Posted by paw at 2008年02月15日 14:45
pawさん
亡くなった彼を思い出すとき、
必ず笑っているのです。
これは生きる一つのヒント、鍵だと思うのです。
彼の身体は無くなってしまいましたが、
魂はやはり生きていますね。
亡くなった彼を思い出すとき、
必ず笑っているのです。
これは生きる一つのヒント、鍵だと思うのです。
彼の身体は無くなってしまいましたが、
魂はやはり生きていますね。
Posted by ばぶ at 2008年02月16日 17:42